クレイジーSwitch(スイッチ)
スイッチを押す─────。それだけで100万円振り込まれる。
スイッチを押す─────。ただしその瞬間に1人死ぬ。
スイッチを押す─────。死ぬのは赤の他人で、重大な犯罪を犯した死刑囚だ。
スイッチを押す─────。私が押さなくても誰かが押す。
西暦20●0年初頭、時の内閣が改正した新しい死刑制度が世界中で物議を醸していた。年々凶悪犯罪が増え続けた結果、死刑囚の数も膨れ上がり頭を抱えることとなった政府は従来の死刑制度を根本から見直す必要に迫られていた。
一番最初に議論されたのは皮肉なことに苦痛を伴わない死刑についてだった。我が国には加害者の人権を優先させる悪しき伝統があり、これは被害者の尊厳や遺族の神経を常に逆撫でしてきたのだ。むろん国民の賛同など得られはしなかったが改革に着手して数年後には新しい死刑方法を実現するに至った。当然詳細は国家機密であるが終末期医療に採用されている技術を転用しているらしいという噂だけは伝播している。
スイッチを押せば対象は意識を失い穏やかに永眠する。
司法とは、刑法とは何か?法治国家とは何なのか?常に振りかざされてきた正義にも容赦なくメスが入れられる。死刑を執行する権利の譲渡が可能になったのだ。
“死刑執行権第一位。被害を被った当事者。これには遺族と、被害者と婚姻する予定のあった者を含めるものとする。これには成年、未成年を問わないものとする。執行日を自由に選定できるものとする。この権利を放棄する自由が与えられるものとする。”
“死刑執行権第二位。執行権第一位の者が権利を放棄した場合、正当な手続きを経て国家の認可を得た関係者にのみ執行権の委譲が許されるものとする。この手続きには被害者遺族の意向が優先的に反映されるが未成年には譲渡不可であると定める。”
“死刑執行権第三位。第一位、二位ともに該当者が不在である場合、志願者の中より選抜された国民に権利が委譲されるものとする。選抜者は正当な手続きを経て国家の認可を得た上で国家の定める法令に従うものとする。法令に背いた場合は20年以上の懲役刑を科すものとする。”
自分の心臓の波打つ音が周辺にも聞こえているような錯覚を覚える。どくんどくん…と、どくんどくん…と。ここに来るまでに幾つものセキュリティを踏破して来た。DNA認証にFace認証と虹彩認証と指紋認証、そしてGPS発信装置と個人識別マイナンバーを組み込んだマイクロチップの埋め込みまでして─────。そして今日、ようやく私は“Switch”の前に立っている。touchセンサーや音声センサーが当然の時代、物理的に押し込むスイッチを目の前にして私は軽く興奮していた。教科書で見たままの…重厚でメタリックな形状のそれは価値のある骨董品としても名高い。私を先導した2人の刑務官は扉の両脇に控えて私がスイッチを押すのを黙って待っている。
カチッと美しい音を立ててスイッチを押し込んだ。なんとも言えない感触が人差し指から伝わって思わず身震いしてしまった。…素晴らしい…。
刑場では無言を貫く決まりなので別室に案内された後に説明を受ける。死刑は滞りなく執行され、対象の死刑囚の死亡を確認したとのこと。死刑執行権第三位の私は即日任を解かれてマイクロチップを回収する簡易手術を受けるよう指示される。そして慰労金の名目で100万円が既に口座に振り込まれたと知らせてくれた。返答は任意だと前置きをしてから何故今日という日を選んだのかを問われたので私は正直に答えた。第一位や二位は被害者の命日を選ぶ傾向にあるらしいので自分は対象の誕生日を選んでみたのだと。その日を選ぶ人も実は結構多いのだと刑務官達が薄く笑いながら教えてくれた。複数の第一位がいる案件もあるからだろうと納得する。奪われた命の数に見合わない時はどうするのか興味が湧いたが今は止しておく。次にスイッチを押す機会があればその時に尋ねれば良いだろう。…あの感触は何物にも代えがたい…。
─────我が国は、加害者に配慮する変わった国だとつくづく思う。人権団体に忖度するような古い時代は疾うに終わって久しい。U.●.A.でもE●でさえも死刑判決を言い渡された当日中に処刑してコストを削減しているというのに、死刑囚を数ヶ月も生かしてどうなるというのか。犯行現場で処刑するスタイルの国では我が国の死刑制度を犯罪者を大切にする“クレイジースイッチ”などと揶揄していると聞いた。まぁ彼方は彼方で「道を歩けばナイフで刺される」だの「銃がなければ2日と生きられない」だのクレイジーの塊だと思うのだが…。
“私”を見送る刑務官達が奇妙なものを見るような眼をしていたのには最後まで気が付かなかった。否、興味が湧かなかったとも言えよう。“私”が死刑執行者に志願し続けるのはSwitchを押したいからであって他はどうでも良いのだから─────。※何度も死刑執行者に志願する者はクレイジースイッチャーと呼称されている。※彼らが手にする100万円はこの時代の価値において大した金額では無い。
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