死後の案内人(ガイド)
花火だ祭りだと実に賑やかしいことだな。男は呆れ顔のまま混雑を極める人混みをするりと抜き去った。屋台の前で友人とキャイキャイはしゃいでいた浴衣姿の若い娘が振り返り、何事もなかったように踵をかえした。我々の姿はハッキリと認識できないようになっているとは言っても勘の良い人間はどこにでも居るものなのだ。
「どこまで走りやがるんだ、あの野郎は。」
舌打ちしたいのを堪えて目標を見失わないように追いかける。目標───くたびれた背広をはためかせた小太りのオッサンは脇目もふらずに一目散に駆けていく。───生前の住処へと。
ハア…ハア…ハッ…ハアッ…
ドスドスと地響きを立てながらこの世の終わりのような形相で家にたどり着いたオッサ…男は、迷うことなく二階の自室へ飛び込んだ。書斎と言うには少々手狭なその部屋の壁側に設えたデスクスペースには1台のパソコンが置かれていて、目の色を変えた男は奇声をあげながら破壊の限りを尽くそうと───していた。
うおおおおーーーーー!!なぜだ!?なぜ触れない!!?こいつッ…こいつさえ始末してしまえばッ!!!
半泣きになりながらパソコンを壊そうと試みる男の背後では、息を切らすまでもなく追いついた黒スーツ黒ネクタイ姿の厳つい顔の“お兄さん”が腕を組んで様子をうかがっている。そして彼の足元には1匹の美しい白猫が寄り添っていた。
「いい加減におしよ。みっともないったらありゃしない。」
鈴が鳴るような凛とした声音に、拳を握りしめたまま振り向いた男は目を見張って黒ずくめの“お兄さん”と白猫を見比べた。えっ?お兄さんはお姉さんだった!?
「…まったく…どんなおぞましいデータが入ってるのか知らないが、死人のあんたがソイツをどうこうする事なんてできるワケがないだろう。」
お兄さんが肩をすくめてそう言えば、
「まぁ仕方がないよ、交通事故死ってのは突発過ぎて受け入れ難いモノだからね。人に限らず。」
と白猫のお姉さんが答える。なんだこれは夢か?男は混乱した頭で難題の正解を求める。
「えっえっえっ?公園に住んでるちくわちゃん??じゃあこの怖い人は刑事さんじゃなくて飼い主さん!?」
「誰が公園に住んでるってんだい!?」
「刑事だなんて一言も言ってないだろう!?」
「あっあっごめんなさいごめんなさい!!」
「権田原あきら48歳、妻あり子が一人。△△会社に25年勤めて半年前に退職。退職理由はこの際どうでもいい。家族に白状するキッカケがつかめずに自宅から遠く離れた公園へ毎朝出勤していた、と。」
「聞けば聞くほど情けない男だねぇ。」
「…ちくわちゃん…。」
地獄に落とされたかのような絶望を顔に浮かべる男に構わず淡々と資料を読み上げる。
「つい今朝のことだが、件の公園に向かう途中で運送トラックにはねられて即死。ここまでは良いか?」
「はい。血まみれでグチャグチャの自分の死体が隣で寝ていた時は心臓が止まるかと思いました…。」
「…起きてすぐさま家に向かって走り出したのは、そこのパソコンのデータを葬りたいが故…で間違いないんだな?」
「刑事さん、後生ですからあのパソコンを爆破してください!!あれを残しては死んでも死にきれません。」
「…。」
「あっもう手遅れでした。」
「俺は刑事じゃないが…一体どんな物騒なデータを隠蔽しようとしているんだ?」
「他人からしたらどうってことない秘密なんだけど、本人にしてみりゃ顔から火が出るほど恥ずかしいモノなのかねぇ?新しい職探しもロクにしないで小説投稿サイトに自作の小説を何本も投稿するってのは。どうやらそのパソコンとやらに書きかけのデータがどっさりあるようだねぇ。」
「ちくわちゃん!?どうしてそれを!!?」
「あんたがあの公園でアタシにちゅ~るを食べさせながらボヤいてたんじゃないか。忘れたのかい?」
「まさか!!ちくわちゃんが僕の話を聞いてくれたから、僕は…僕は…。」
「泣くんじゃないよ。見苦しい!!」
「ちくわちゃんッ…」
黙ってコントを眺めていた厳つい“お兄さん”が気を取り直して男に確認する。
「パソコンのデータさえなんとかなれば思い残すことはないんだな?」男に代わってちくわが答える。
「家族仲が悪いわけじゃないから未練はあるに決まってるけど、この人の生命保険が結構太いらしくてねぇ。いっそのこと…なんて口走ったりもしてたよ。そんな度胸なんてありゃしないのに。馬鹿な男さ。」
「ちくわちゃん───そういえば女房は…」
「警察から一報が入って、病院であんたの身体と対面しているはずだ。あんたをはねたトラックの運転手も事故現場で逮捕されている。」
作成されたばかりの資料をめくって疑問に答えてやる。
「刑事さん…。そうか…すまない佳子…。本当にすまない大輔…。」
すっかり意気消沈してしまった男の足元に三毛猫とトラ猫と白黒のブチ猫が複数匹、何処からともなく現れた。
「あっお前たち…。もしかして僕を迎えに来てくれたのかい?」
男は生涯猫派を貫いたらしく、先に逝った飼い猫達にとても慕われていたようだった。
「わかったわかった、今行くよ。一緒に橋を渡ろうって約束したもんなぁ。待っててくれてありがとうなぁ。お父さん嬉しいよ。お父さんは幸せ者だなぁ。」
ちくわは、亡くしたかつての愛猫達に囲まれて相好を崩す男を見つめてから黒ずくめの男を見上げた。すると黒ずくめの男もちくわを見下ろしていた。優しくて哀しい眼差しだとちくわは思った。
権田原某が愛猫達と虹の橋を渡っている頃、彼の黒歴史がつまったパソコンは密かに回収されていた。
「あの人には沢山ちゅ~るをもらったからねぇ、礼のひとつも返さずにサヨナラしたら女が廃っちまうってもんだよ。」
ちくわは満足気に毛繕いを始める。
「あいつ…最後まで俺を刑事だと思い込んでいたな。思い込みが激しい方が創作活動には向いているんだろうが。」
死者の遺物を破壊した罰の始末書を書きながら黒ずくめの男はため息をついた。
「俺はただの案内人なんだが…。」
男の膝の上で丸くなったちくわが小さく笑んだ。
「───そうだ。お前に話すのが遅くなってしまったが…少し前に昇進が決まってな。色々と待遇が改善されるらしくて、お前とまた一緒に暮らしても良いと上に許しをもらったんだ。…ちくわはどうしたい?」
「どうもこうもないだろ?どうしてあんたはいつも大事なことを後回しにするんだい?昔からちっとも変わりゃしないんだから!!」
イカ耳で唸るちくわの白い毛並みを撫でながら、思わず苦笑いする。
「今の飼い主に情が湧いてるんじゃないかと思ってな。お前は面倒見が良いから。」
ちくわの首には名前が彫られた銀のプレートを縫い付けた桃色の輪が巻いてある。それは彼女の純白の毛並みによく似合っていた。
「…あの子は飼い主だなんて上等なモンじゃないよ。ただ色々と厄介なモノを呼び寄せる質だから少し手を貸しているだけさ。あの子にはアタシの舎弟達がついてるしねぇ、でも…でもあんたにはアタシしかいないだろ?だからうん。一緒に住むよ。」
珍しく早口で喋るちくわの二股に別れた長いしっぽが嬉しそうに揺れていた。男はちくわがまだ子猫だった遠い昔のことを思いだして、その宝物を大切に胸の奥に仕舞った。
「アタシがいなきゃ寂しいんだろ?仕方ないから一緒に寝てやるよ。」←早口
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