小夜啼鳥が囀り高らかに夜明けを告げる
橋口やすよにとって看護婦は天職だった。敏夫が医者を目指すもっと前から看護婦として勤めていて、彼が父親の跡を継ぐために外場村に帰って来てからも看護を必要とする人々のためにその身を捧げてきた。そんな彼女が苦しんでいる人を目の前にして平気でいられるはずなどないのだ。───律っちゃん、大丈夫?やすよは心配で堪らずそう尋ねた───。決して広くはないであろう部屋の中、出来うる限り離れた場所に踞った国広律子が苦悶の声を漏らしている。───やすよさん、お願いだからこっちに来ないで!!───ここに連れてこられた最初は何もわからなかった…でも今ならある程度のことはわかっている…。律っちゃんは蘇生したのだ、そして彼女を蘇生させた何者かは律っちゃんに食事をとるように唆している。知り合いである私を襲って害させることで律っちゃんの心を折ろうとしているのだ。下衆野郎め!!あいつらが夏から続く忌まわしい騒動の犯人に間違いない!!蘇生した者達には灯りが必要ないのか部屋の中は真っ暗闇で、やすよには律子の具合を確かめることが難しい。飢餓に堪えかねて想像を絶する苦痛に苛
まれているのだろうと推測するしかなかった。律子の苦しむ呻き声にやすよは何度も挫けそうになった、ほんの少しだけ、少しだけ血を飲ませてあげられたらと─────。律っちゃんがそれを望むはずはないと知っていながら…やすよは可愛い後輩が悶え苦しんでいる現状に到底我慢がならなかった。暗闇の向こう、座敷牢のような部屋の外側で今も二人を監視しているであろう若い男に怒りをぶつける。せめて律っちゃんを部屋の外に出してあげて!!まだわからないの?この子が人を襲ったり出来るわけがないでしょう!?人を助けるために看護婦になったのだから─────!!誰かを傷付けるくらいなら自分を傷付けるに決まっているじゃないの─────!!
いつもこの辺りのシーンを読むと居た堪れない気持ちになるんよね~。律っちゃんみたいに強く清廉な人間であれたら良いなと憧憬の念を抱く一方で、自分には無理じゃなーって結論に至ってしまう。自分が傷付けられるくらいなら他人を犠牲に出来る人間って多いと思うしなぁ。むしろ二人がかりで屍鬼をどうにかして脱走する算段をつけそうで…それも有りだとは思ってるけどね~。律っちゃんが徹くんに言った言葉が今でも印象に残っている。自分を嫌いになりたくないから…っていうね。彼女は屍鬼ではなく自分自身と戦って勝利したんだねぇ。人が持ち得る美しさに心動かされた徹くんは、やすよさんを解放して滅びの時を受け入れる決断をすることが出来た───。愛の鳥でもある小夜啼鳥、別名ナイチンゲールが飛来することは吉兆であると喜ばれ、同時に病人に死を告げる鳥として凶兆であると恐れられてもいる───。二羽のナイチンゲールが人類に吉兆を、そして屍鬼には凶兆を運んで物語はクライマックスへと向かって行く。
やすよさんが…?敏夫のもとに橋口やすよが保護されたと伝えられたのは二日目の夜も明けた頃だった。やすよは自分が今まで監禁されていた場所を皆に伝えて…あとは口を噤んだ…。そうか山入なのか───!!敏夫は納得した。最初に犠牲になった三人の老人が住んでいた山深い区画にはもう誰も残っておらず皆に忘れ去られており、奴らの隠れ家にはもってこいの場所だったのだ。今度こそ屍鬼どもを殲滅することが出来る───!!敏夫は暁に染められていく空を睨んだ。
もう少し先のシーンなんだけど、敏夫さんの胸の内も段々と浮き彫りになっていきます。自分は正義の味方を気取りたいわけでも村を救う英雄になりたいわけでもなくて、己の実力をただ計りたかったのだと心中で吐露します。両親…特に亡き父親へのコンプレックスがなかなか捨てらずにいたからねぇ。村に居れば若先生、若先生と尊敬してもらえるけど、所詮は井の中の蛙であり山奥の小さなこの村で骨を埋めるであろう将来に膿んでいる深層心理に誰よりも嫌気が差しているんだろうと思います。こうした負の感情を同じく寺の跡継ぎである静信さんも持っていて、田舎に限らず若者に対して過剰な期待を背負わせる嫌らしさみたいなジメジメした空気感がリアルに感じられて胃がキリキリしちゃいます。もう若くない私には関係ないけどぉ~。
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