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【怪談】クビ

月と静寂 怪談・奇談
怪談・奇談
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クビ

 「明日からもう来なくてもいいぞ。」

 そう言われて

「そうですか。」

 と素直に引き下がるうつけ者が現在の日本にどれくらい居るというのだろうか。一般労働者が持つ権利や保証は今や空前絶後の最高値をつけており、ともすれば解雇クビを通告した側が痛手をこうむる案件があからさまに増加しているというのが昨今の風潮でもあった。…ただし…

 当然のことだが雇用側の主張と権利も最大限の社会的擁護がなされており、その権限を行使するためには当該解雇予定社員がその厳しい決断を下すのに相当な人物であることをつまびらかに証明する義務を負っている。それも人権に配慮した上で必要な手順を踏み、粛々と処理を進めることが求められるのだ。

 「納得いきません。」

 男は受け取った解雇通告書を上司に突き返した。否、納得しようがしまいがこの決定に従うということは【死】を受け入れるのと同等なのだから拒否するのは当たり前だよなぁ?眼下の古ぼけた事務机に腰掛けたまま上司が深いため息をつくのを男はつとめて冷静に見下ろす。彼が直接の上司に当たる人物ではあるのだが、この解雇通告はさらなる上層部から正式に決裁されて下された処分に他ならない…。逆上して感情的に振る舞えば相手側に有利な状況を与えるだけだろう。もだして利をるのが賢明な判断だと先駆者パイオニア達が身をもって示してきたのを男は重々承知していた。無論、反証すべきところはあまさず反論するのが正しい在り方であろうが本人の目論見もくろみはそれとはかけ離れた場所にあったのだ。

 「君、自分が何をしたか分かってるよね?どうしてこう・・なったのかも。」

 上司が胡乱うろんな者を見るような目付きで男を見上げる。その顔には驚きも怒りも憐れみも一切が見当たらなかった。彼にとって部下に解雇を通告するのは初めてのことではなく、彼は解雇予定社員の無駄な足掻きをそのよわいになるまでことごとく返り討ちにしてきた武士もののふでもあるのだ。

🌖 \ワォォーン/

 野郎は図々しくもニヤケたつらわざとらしく張りつけてシラを切ってみせた。こちらが並べた解雇事由は一から十まで知らぬ存ぜぬを突き通すつもりでいやがる…。やっこさんの筋書き通りにするわきゃいかねえ───のらりくらりと問答しているうちにれてきた野郎の眼が尋常じゃあねえ暗い熱を帯びてきやがった。へっ、そんな安い挑発に乗るかってんだ。べらんめえ。

 「旦那ァ、あっしが一筋縄じゃいかねえ奴だってのは身にみてんじゃあなかったのかい?」

 しびれを切らして威勢よく得物を鞘から抜いた若造に、上司の鋭い眼がひたと向けられる。社訓その拾壱じゅういち、社内にて刃傷にんじょうに及ぶ者は切腹を申し渡す───…

「おめえ…そいつを抜いたからにゃあ覚悟はできてんだろうなァ」

 悪鬼も尻尾を巻いて逃げだすような気迫を全身にまといながら腰にげた刀に手を掛ける。社訓その、社内での抜刀ばっとうを固く禁ず───…

 チャキッ

 ─────…刹那のあと、無情にくずおれる胴体と落下する首。無様に転がる事なく切り口から接地する離れ業はお見事の一言である。背広の内ポケットから取り出した懐紙で刀身を拭い、何事もなかったかのように鞘に納めた。

「…流石は首切りの旦那、鮮やかな手際だねぇ。」

 頭上から降ってきた感嘆とも揶揄からかいともとれる声に、古ぼけてギシギシと軋む椅子に腰掛けた上司がいつもの調子で答える。

「あとの始末はそちらさんに任せましたよ。」

 天井隅の一角からぞろぞろと黒ずくめの男達が下りてきて、またたく間にオフィスの汚れ・・を綺麗に持ち去っていった。ただ一人この場に残った影が独りごちる。

「…あの若いのが刀を仕込んでやがったのを見逃がした申し開きを聞かせてもらわねえとなぁ。殿しゃちょうに死罪をたまわるやんちゃをやらかしたのは奴自身の浅はかさだろうがよ。情でも湧いちまったかい?」

 いささか口調が荒く感じるのは、事によっては謀叛むほんを疑わねばならぬ緊張からなのか…

 首切り課のおさは黙ったまま解雇決定書を影に手渡した。達筆な筆文字でしたためられたそれには解雇予定社員が立ち合いを望むならば応えるようにと書き記されてあった。本来であれば一族郎党にまで罪が及びかねないところを本人の立ち合いのうえで敗死ということにして事態の収拾を図ろうという…つまりは殿の恩情である。

「…やれやれ、新しい殿はお優しいこって。先代の殿なら躊躇ためらうことなく腐り落ちるまでさらし首にしただろうさ。」

 そう言って肩をすくめた影に首切り課長が語りかける。

「時代が代わったのさ。あんたもあたしも古い人間はとっとと表舞台から去らねえといけねえってこった。」

「てやんでぃ!!俺ァまだまだ現役よ。若けぇもんに負けてたまるかい!!」

「へっ。だからって無理がたたって定年前にポックリいっちゃお仕舞いじゃねえか。」

「なにおうっ!!」

 隠しカメラから送られてくる映像を映していたモニターを消し、先代の手先を一掃する必要があるとの再認識を深めた彼は最終決断を下した。ぶ厚い眼鏡ごしにも伝わる怜悧れいりで酷薄な瞳を側近に向けて指示を出す彼の声音には、絶対零度の冷たさしか感じることはできなかった。

「首切り課も隠密課も我が社にはもう必要ありません。彼らに解雇を通告する用意をしてください。」

「承知いたしました閣下しゃちょう。」閣下と呼ばれた男はうなずくとマントをひるがえして颯爽と諜報課を後にした。聴く者が芯まで凍るような靴音を響かせて───…

暗部ってのは人知れず消えちまうもんなのさァ

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