密談
残業なんてクソくらえだ!!…理不尽だと憤りつつも愛想笑いで引き受ける。サラリーマン(?)はツラいよなぁー…なーんて嘯きながら階下の資料室に足を運ぶ。何のことはない、単に怖いのだ。地下1階にある弊社の資料室は黴臭くて埃まみれ、おまけに出るともっぱらの噂だった。おあつらえ向きにチカチカと点滅している通路を滑るように進み、目当ての資料室へ入室する。そうしてやっと止めていた息を吐くまでが決められたルーティンだった。
ここの心霊現象は弊社における7不思議の1つに数えられており、先輩から後輩へと脈々と受け継がれている由緒正しき『怖い話』なのだが、そんな事は今は関係ない。取りに行けと命じられた物を持ち帰り、やれと言われた事をやればそれで良いのだ。そうして上司に報告書を提出して…ん?なんだ、わりと直ぐに済むんじゃないか?
淡い期待は室内に入ったと同時に消え去った。ズシンと、空気が…重い。そして臭い。黴や埃の類いの臭いじゃない、生温かい吐息のような嫌な温度の空気が部屋中に漂っている。私は内心怯みながらも所狭しと並べられている棚をめぐり、資料を探し始めた。何故データ化していない紙の資料が未だに存在するんだ? そしてそんな古い紙切れを引っ張り出してどうしようと言うんだ?? わかっている…私は生け贄にされたのだ。資料室のヌシ達へと差し出された羊なのだ。
資料を探す体を保ちながら恐る恐る部屋の1番奥に進んだ私は…明かりも届かない隅に4人分の影がぼんやりと浮かんでいるのを発見してゴクリと息を呑んだ。彼らは私の存在に気が付いているはずなのにその素振りを見せず、真剣に話し合いをしていた。ボソボソと抑えた声で交わされている途切れ途切れの言葉には、それでも断固とした意思と悲哀が滲んでいて思いの外私の胸を抉った。
「あの、お話し中にスミマセン。」急に話しかけられた4つの影は、ふと話を止めてフワリと若い男の方へと振り向いた。顔があるはずの位置には深い影が差していて表情を読み取ることは出来ないが、特に攻撃的な様子は見られなかった。若い男は姿勢を正して真っ直ぐに4人を見つめて伝えるべき事を伝えた。「私は〇〇取締役の部下の□□と申します。本日は〇〇からの言伝てをお伝えに参りました。」影がユラリと揺らぐ。「●●前社長は先日逝去されまして、御親族のみの葬儀も本日執り行われました事をご報告致します。」影が漣のように震えを帯びた。「●●氏は既に弊社とは無縁の人物でありますが、所縁の深い緒先輩方にはご報告せねばと、」そうか───… くぐもった低い声が想像していたよりも明瞭に聞こえてきて思わず口をつぐむ。知らせてくれて有り難う… ●●にも漸く報いを受けさせる事ができる… …行こうか…アイツは逃げ足だけは速いからな…
かつて弊社には巨大な闇が蠢いていた。諸悪の根源は絶大な権力を振りかざす男で、彼の一族もまた醜悪な心根の持ち主ばかりだった。富と権力を恣にして法を逸脱し人を蹂躙する悪魔のような奴等に、それでも真っ向から退陣を迫る勢力が居たのだ。不正の証拠や情報を集めて反旗を翻した彼らの存在を良しとしない悪魔達は、手下を使い狡猾な罠を仕掛けて命までも奪った。結果、すべての悪事は世に暴かれて●●の一族達は表舞台から去らざるをえなかった。これこそ因果応報というものだろう。社内の勢力は端から端まで塗りかえられて今日に至り、弊社は優良な企業として名声を馳せている。それもすべては今、目の前にいる彼らのおかげなのだ。あの〇〇君も随分と出世したんだな… 君も…頑張りなさいよ… 資料室から煙のように消えていく彼らに私は頭を下げ続けたのだった。
後日、紙面を賑わすのは悪名高い一族の不慮の連続事故死と、それに関連した何処にでもあるような怪談だった。4つの人魂が事故現場のそこかしこで目撃されたという─────。
「本当に良かったのでしょうか。」そう問い掛けた私に何でもないと言わんばかりに手を振った。〇〇取締役のもう片方の手には古びた紙切れが握られていて、それは神社などで授かる御札のようにも見えた。「彼らは自分の無念を晴らしているに過ぎないんだよ。誰が咎めることが出来ると言うんだね?」囚われた資料室から解き放たれた彼らがどこで何をしようと私達の与り知るところではない。そう言って御札のように見える色褪せた紙切れを破り捨てた。若い□□には知るよしも無いが〇〇の婚約者もまた悪魔の一族の毒牙にかかった被害者であり、彼もまた愛する人の復讐の機会を虎視眈々と狙っていたのだ。「君には本当に感謝しているよ。君のように見たり聞こえたりする才能が私にはまったく無くてね。…彼らを自由にしてあげることが出来なかった。」「お役に立てたのなら幸いです。…それに、感謝したいのはむしろ私の方ですよ。」「…?」「あの大先輩達のおかげで、今現在私はホワイト企業の恩恵を受けている訳ですからね‼️長期休暇に夏期・冬期ボーナス。残業代もキチンと頂けていますし。いやいや、無能で横暴な経営陣が居なくなってくれて社員としてこんなに幸せな事はありませんよ‼️」「…君は本当に正直者だねえ…。」
「これからも時々頼まれてくれないかい?もちろん特別報酬もつけよう。」「かしこまりました。…相場はいかほどで?」
まだ…6不思議あるから。
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