濡れ鼠
天気予報も当たるときゃ当たるもんだ。ウチを出る前にゃ大したこっちゃねぇなんつって傘も持たずに来ちまったが…帰りはとんでもねえ大嵐じゃねえか。あちゃー…なんで俺サンダル履いてんのよ?なんでだろーな~?
かぁーッ、バケツをひっくり返したような雨ってのはこー言うことを言うのかねえ? オマケに風がバンバン叩きつけてきやがって1メートル先も満足に見えやしねえ。ザブンザブンって歩道は歩きにくいしよぉ。チックショー、ウチまであともう少しだ頑張れ俺。前へ、前へ進むんだ!!
うん? 風が少ーし弱まったか? やれやれ…ってフォー‼️ うぉービビったー!! 隣に誰かおったんかい!! あー驚いた、心臓に悪ぅ。…しかしまた、ごっつい格好しとるなぁ~。カッパ着てリュックサック前に抱えて傘も差してごっつい長靴履いて。…んまぁ今日みたいな天気じゃあ、それが当たり前だわな。
おっと赤信号~。こんな時間じゃろくすっぽ車も走ってりゃしないけどよ、交通ルールはちゃんと守らねえとなあ。ガキどもが真似しちまうと大変だ。あんたもそう思うだろ~?とかなんとか思いながら隣のごついのに目をやった。
!?
超高速で眼を瞬かせながら今見た光景について思いを馳せる…。そんなわきゃねえだろー? そんな…そん
!!
見間違いじゃあねええええええじゃんよ!! ネズミ!? くそでっけえネズミが服着て歩いてやがる!? 目の前のあまりに異常な状況にパニックになった俺は、その場にへたりこんでしまった。尻が濡れようが汚れようがどうでもよくて、自分が今しているオモロイ顔の方が気にかかって仕方なかった。顎が…はずれるッ!!
「あの、大丈夫ですか?」ピンと張った長い髭をヒクつかせながらカッパを着たネズミが尋ねた。声は若い男のものだ。目深にかぶったフードの下から心配そうな眼差しを向けてくる。心配そうな…漆黒の丸い…顔は銀灰色の毛におおわれて…差し出されたのは鼠の前足で………そうして俺は目の前が真っ白になっていった。
「発見が早く大事に至らずに済んで本当に良かったですね。」毛深い腕の医者が笑いながら袖をたくし上げる。「いやあ、まったくですよ。」すっかり回復した俺は苦笑いを浮かべながら相槌を打った。何のことはない、あの豪雨の夜のことは病が脳に見せた幻覚のようなものだったのだ。種が割れるとあの時感じた恐怖も羞恥心にすり変わってしまう。顎がはずれそうになるほど絶叫したなんて、こっ恥ずかしいっちゃないだろー。俺、いい年した大人だし。「今年はガイジンが大繁殖しているらしくてね、かなりの被害が報告されているようなんですよ。」「1匹みたら30匹は居るってやつですよね。どんな小さな隙間からも入ってくるから質が悪いよなぁ。」そう言って短い指でピクピク動く髭を摘まんだ。「ゴミは漁るしポンポン増えるし、しまいにゃ病原菌まで振り撒きやがる。」「何しろ太古の昔から存在する生き物らしいですからね。ちょっとやそっとじゃ根絶したりできないんですよ。駆除しても駆除しても、必ずまた生き残りが増えていくんですって。もの凄い生存本能でしょう?」白衣の裾からユラユラ揺れるしっぽが見えた気がする。医者ってのは思いのほか子ども染みているらしい。
ガイジンホイホイなんて単純なトラップには引っ掛からないだけの知能が有りながら、同族同士で争い合う醜い生き物…それがガイジン。奴等の持つ菌に冒されると、自分がガイジンだったという謎の幻惑に見舞われる。そして我々の存在を忌避するようになり発狂してしまうのだ。そのメカニズムは解明されておらず、とある学者達の間ではかつて栄華を極めた【害人】達の復讐行為ではないかと危惧する者まで居るという。そこまで考えが至って俺は思わず吹き出してしまう。素っ裸でコソコソ歩き回る肌色の害獣に威かされるなんてまっぴらごめんだ。退院したらバルサンを焚いて一網打尽にしてやる。楽しみで仕方がないとばかりに病衣の尻から突き出したスベスベの長い尾を意気揚々と振ってみせた。
最近のバルサンは煙あんまり出ないって本当ですか?
コメント