生きた人形
インターホンを押した。短い沈黙の後に応答があった。
「はい。どちら様でございましょう。」
「夜分遅くに申し訳ありません。〇〇署の●●と申しますが、先刻はどうもお忙しい時間帯に失礼致しまして。…お父様はお帰りになられましたでしょうか?」
…また短い沈黙─────。
「父は体調を崩して臥せておりまして…。」
そして今度は長い沈黙─────。訪問者は相手に気づかれぬように静かに息を吐き、首だけを後ろに向けて目線で合図を送った。
ガチャガチャと表側で何かしていると思っていたら、おもむろにドアノブが回りこみ玄関の扉が開かれた。ガチャンッと防犯のためのU字ロックが激しい音を立てる。緊急時に備えて解錠のプロフェッショナルが同行しているので、扉の脇に避けて作業を促した。当然の事、敷地の周りはすでに包囲網が敷かれている。
「失礼します、令状を持参してまいりました。只今より家宅内の捜索をさせて頂きます。」
先程までの気配は消え去り応答は途絶えた。想定内と言えどヒンヤリと突き刺すような不穏な静寂に胸の内が掻き立てられる。─────室内になだれ込んだ捜査関係者達は、ものの数分で家主の身柄を保護するに至った。死後1年以上は経過していると思われ白茶けた骨が剥き出しになっていたが、遺体そのものは丁重に扱われており清潔な寝巻きを着せられて整えられた寝台に横たわっていた。
白檀を焚いていたようで、甘く幽玄な残り香が家中を漂い異臭を覆い隠していた。新任の後輩捜査官が眼差しで問いかけてくる。我々は不必要に言葉を発しないよう訓練されており、僅かな仕草やアイコンタクトで意思を疎通する術を身に付けているのだ。御遺体を運び出す段取りを始めるように指示を出した後、私は「彼女」を探すために家の奥へと向かう。…古い造りだがそれなりの広さがある当該屋敷は、1人の人間が身を隠すには十分すぎると考えられる。だが、それとは違った理由で「彼女」が外に逃げ出す心配など最初から不要だった。なぜなら、
「彼女」は生きた人間ではないのだから─────。
我々が進めてきた内偵捜査では「彼女」は幼くして夭逝していると判明している。程なくして父母は離縁しており、それからは父親が独りで暮らしていたはずだった…。いつ頃からか女児の好む洋服や玩具などを買い漁り始め、奇行に訝しむ家政婦を追い出すなどして段々と孤立していったのだった。それも全ては愛娘を亡くした哀しみのあまりの変貌なのだろうと周囲の者達には同情されていたのだが…そうではなかったのだ。
『人魂移り』という言葉を知っているだろうか?亡くなった人の魂が往くべき場所に往けずに現世の物品に縛られる現象のことを指し示す、旧・霊能省が流布した造語だ。さ迷える魂の依り代になるのは何処の国でも何時の時代でも人間の形を象った物だった。…「彼女」の調査をするうちに興味深い事実が浮き上がってくる、幼いままに世を去ったはずの魂が齢を重ねるごとに成長しているという驚くべき証言。件の家政婦が目撃した「彼女」は、幼い少女から妙齢の女性へと育ち上がっていったという─────。『人魂移り』を繰り返しているという事なのだろうか?前例のない成長する霊魂…、現・浄霊庁から我々に与えられたのは「彼女」を拘引せよという厳格な指令だった─────。
南側の庭を望む窓辺に楚楚と立つ「彼女」の姿に、ヒトと錯覚しそうになり戸惑ってしまう。父親の状態を考えると庭に咲き誇る色とりどりの花は「彼女」が世話をしていたのに違いない。そして、恐らくは病死したのであろう父親の世話も…。私は彼女を怯えさせないように優しく声をかけたのだが、それすらも不要な計らいであった。なぜなら、
玄関の扉の前に「彼女」は佇んでいた。薄紅の艶やかな着物に銀糸の刺繍が施された漆黒の帯を締め、項垂れて露になったうなじの左右を長い黒髪が流れている。「彼女」は我々に背を向けていた。─────先輩に知らせないと…後輩捜査官が思い至ったのと同時に、多くの異常にも気が付いた。これぞ日々の訓練の賜物と言えよう。まず、「彼女」が外に出ている。そして「彼女」の足元に滴っているのは、色味からして血液の可能性が非常に高い。だが「彼女」は人形ではあるが生身の人間ではないのだから、もしかしなくてもソレは別人の血液だ。そして「彼女」は何かを抱え込んでいるような姿勢をしていて、血液は抱えられた何かから流れ落ちているように見え…見え…。ああああああああああああ「彼女」がゆっくりと振り向き始め…先輩が…、せん──────────。
─────浄霊庁の秘蔵『成長する生き人形』ファイルには「彼女」の逮捕は失敗したと記述されるにとどまっている。「彼女」の行方も捜査官達の首も、未だに発見される兆しはない。
せ…ん…ぱ…い…(大昔の心霊現象)
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