罠(わな)
コツ…。コツ…。コツ…。深夜の住宅街を無防備に歩く馬鹿な女。飲みの帰りにしては足取りがしっかりしているな、残業でもしてたのかい?我知らずニヤリと口元が歪む。『的』の後ろを10…いや15メートルくらいか、付かず離れずついていく。『的』は振り返らない、そりゃそうだろう。急いで家に帰りたいもんなぁ?シワだらけの醜い笑みが顔中に広がっているのを誰かに、あの女に見せてやりたくて堪らなくなる。どんな顔をする?お嬢さんよぉ。
この辺の道は頭に入っている。金持ちの住む家が何軒も有るからだろう、街灯も監視カメラも至るところに設置してある。─────まぁ、どんなに警戒してもスキマっていうもんは出来てしまうものだ。塀が高けりゃ高いほど死角は生まれるからな。何より、お上品な連中は夜中に徘徊なんてしないもんだ。あまりの人通りの無さにうら寂しい気さえしてきた。
『的』は見るからに高価なコートを着込んでいて、ナンチャラ言う有名ブランドの鞄を肩にかけていた。足元も黒々と艶光りした細身のブーツで洒落こんでいて『的』に相応しく金回りの良さをプンプン振り撒いている。お高いナンチャラブランドの財布の中身は開けてみなけりゃわからないのが博打だが、まぁいいだろう。最近じゃ現金をろくに持ち歩かない風潮らしいからな、仕事が遣りづらくてならない。ひとり苦笑いを浮かべていると『的』が曲がり角を曲がった。
あの先は建設中のマンションへ続く一本道じゃなかったか?コツ。コツ。コツ。と『的』の足音が心なしか早くなっていく。─────感づかれたか─────!?内心焦るが慌てる必要などありはしない。対策は万全だ。…だがあの『的』を諦めるのは口惜しい…。やるか…?帯に隠し持った【とっておき】に指をかけつつ、女が向かった道へ然り気なく急ぐ。
ドスン─────カラカラッ……………。
角を曲がった少し先に、ぽっかりと口を開けたマンホールがあり近くにはナンチャラナイフが転がっていた。どうやら街灯の死角のようで不自然なほど視界は暗い…。コツ、コツ、コツと暗闇から女が現れて蓋のないマンホールの中を覗きこんだ。しんと静まり返る冷たい空気の中を人の呻くようなすすり泣くような幽かな声が穴から漏れ聞こえるのを確認すると、女は踵を返して去って行った。コツ…。コツ…。コツ…と足音を響かせながら女が満足そうに笑んだのを知る者は居なかった。
後日、マンホールに落下して死亡した男性の遺体が発見されてニュースとなり報道されることになった。不自然な事故に1日、2日ワイドショーを賑わせていたが例外はなく直ぐに忘れ去られる。
半年後、とある高級住宅街で妖怪が出るとの都市伝説が広まる。2人組の妖怪で罠氏(ワナシ)が人を罠にかけ、埋氏(ウメシ)が痕跡を埋める…と言う役割分担制であるらしい。新(あらた)な妖怪が誕生して一世を風靡したことで妖怪ブームを起こしかけたが、時が経つにつれ忘れ去られていった。
数年後、マンホールの中で不自然に死んだ男が【罠氏】によって罠にかけられたのではないかと検証する怪奇番組が放映された。根拠は事故現場が【罠氏】発祥の街であること、マンホールの蓋は動かされた形跡がなかったことなどの新情報を出して番組を盛り上げたが、男が何故老婆のような和装姿をしていたのかはついぞ謎のままで終わった。
現実は小説より奇なり。
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