餓魑爺(がちゃ)
「母さんっ!!こっちだ、パスしろ!!」
妻に向かってそう叫びながら腕を伸ばした。
「お父さん、はいっ!!」
学生時代にソフトボールでならした強肩はまだまだ健在のようで、正月晴れの澄みわたる青空の下を迷いのない放物線を描いて私の手にスッポリと収まった。さすがは母さんだ。
「父さーんっ!こっちこっち!!あいつが来たぞぉ!!!」
少し先にある陸橋の上から息子の声が降ってきた。今回の騒動の原因はまたしてもこいつ、政志だ。
事の発端は年の瀬の買い出しで人がごった返しになったデパートだった。おもちゃコーナーの片隅で一人の女性と知り合った政志は、行方不明となっている彼女の子どもを救出するべく私達一家を巻き込んで家庭内捜査本部を立ち上げたのだ。本部長は現職警察官の私だが主な捜索は政志と妹の智香、そして政志の友人の昴君が受け持った。それぞれの得意分野を駆使して子どもの行方を突きとめた我々は(私は誘拐の線を睨んでいたのだが…どうやら違ったようだ…)恐ろしく禍々しい姿をした化け物と対峙することになってしまったのだ。
それは巨大で歪な肉の玉だった。轟音をとどろかせて激しく回転しながら真っ直ぐに私達の方へと迫って来る。苔むしたように全体を覆っているモジャモジャした短毛は白髪のように見えないこともなかったが、それよりなにより「玉」が発する嗄れたうなり声が老爺のそれとまったく同じだった。ちくしょう、一体どこにクチがあるっていうんだ!!
奴の狙いはこのカプセルだ。一見なんの変哲もないプラスチックの丸いカプセルの中には行方不明になっている子どもが閉じ込められていて、取り返そうと躍起になって追ってきている。化け物がなぜその子に執着するのかは知らないが…この際それはどうでもいい。むしろそれどころじゃない。
私と妻と息子の3人でパスを繰り出しあいながら、手筈通り例の三角公園へとあの化け物を誘い込むことに成功した。すでに到着して待ち構えていた別動隊が化け物に対抗する唯一の道具を携えて───!?…なんだと!!あれは…三角定規???親父に借りた軽トラックの荷台に立っている私の娘、智香が教員用と思われる大きな木製三角定規をまるで銃のように構えていた。
─────刹那ほとばしる閃光が化け物に直撃するも、その威力は一時的に奴の回転を止めるにすぎなかった。いやらしい嘲笑が醜い肉玉から漏れ聞こえてきた矢先、凄みのある笑みを浮かべた智香が天へと三角定規の切っ先を向けた。次の瞬間に上空へと伸びた光の柱が3つに別れて地上へと走り、公園の敷地の端3地点に設置しておいた工事用のジャンボカラーコーンを基点にして巨大な光の三角錐を形作った。『光の聖域・サンクチュアリ』の内部に居る我々には眩しくて目を開けづらい程度の効果しかもたらさないが、あの化け物には違ったようで稲妻が直撃したような凄まじい音を立て全身を引き裂かれながら絶命した。死骸は瞬時に燃え尽きてしまい、残されたのは崩れ落ちた炭のようなものと焦げ臭い悪臭のみだ。
「終わった…のか?」
へたりと座り込んでしまった妻に手を貸しながら、それでも化け物の残骸から目を離せずにいた私に政志が答える。
「大丈夫だよ父さん。念のために爺ちゃんにもスタンバイしてもらってたんだけどさぁ、こいつそんなに強い奴じゃなかったみたいだ。にゃははは。」
公園を見下ろすビルの一室から異様に鋭い切っ先を持つ細長い二等辺三角形を猟銃のように構えた親父の姿が見えていたが、やっぱり気のせいではなかったんだな。智香が二等辺三角形からビームを発射できる云々も冗談でもなんでもなかったってことか。よし、わからんがわかったぞ。
ぞろぞろと一家全員そろって帰宅すると、我が家のリビングに所在無げに座っていた女性が弾かれたように立ち上がった。
「一志っ!!」
カプセルの中から救いだした少年に駆け寄り抱きすくめる。
「ママ?どうしたの?」
少年は怪我ひとつなく健康で、何も覚えてはいなかった。…その方が良いだろう…もう終わったことだ。妻が母子を食事に誘い、一緒に御節やら雑煮やらの支度を始めたのを契機に親父と私も一献傾けることに決めた。なんと今日は元日で、私は偶然非番だったのだ。母子の再会を見届けて安心した智香は、今から昴君と初詣に出かけるらしい…なぜ2人でなのか…
「それじゃ行ってくるわね。」
「すいません、お父さ」
(気を付けて行ってきなさい。)「君にお父さんと呼ばれる筋合いはない。」
「おい政夫、逆になっとるぞ。」
親父に突っ込まれた私はそれでも仏頂面を崩すことはなかった。この顔が私のトレードマークだそうだからな。それより気がかりなのは───
新聞紙に包んだ消し炭をしげしげと眺める。化け物の死骸なんてなかなか手に入らないぞ~。にゃははは。まずは写真を撮って、それから動画を撮影しよう。なぜかアイツの姿は俺たち家族以外には見えなかったようだし、もっとこうドラマチックに編集して───ニヤニヤしながらふり返ると眉間にシワを寄せた親父とそっくり同じ表情をした爺ちゃんがすぐそばに立っていた。
「お前がおとなしい時は何かを企んでいる時だけだからな。」
「政志ぃ、お前は本当にいっちょん変わらんな。こんイタズラ坊主が!!」
ごつんッ!!と爺ちゃんの拳骨の音が響いた。
拳骨は愛情だった…?ハッキリわかんだね
コメント