異次元のワクチン
若返っている─────。私がハッキリとそう確信したのはいつの事だっただろうか。
「こんにちは●●さん。…あらぁ?」
すっとんきょうな声をあげて私の顔をしげしげと眺めているのは隣家に住む長年の知人だった。彼女が驚くのも無理はない、同年代のはずの私が明らかに10年分以上若返っているのだから。
「あらぁ…えっと、●●さんの息子さん?だったかしら。ごめんなさいね~、最近物忘れがひどくって。」
おたおたと覚束ない記憶を手繰り寄せながらも一応それらしい結論にたどり着いたのか隣人は愛想笑いを浮かべて世間話を続ける。たいした適応力だ。
ただでさえ理解しがたい話が輪をかけてややこしくなるのが目に見えているので●●の甥だと名乗ることで辻褄を合わせておいたが…、次回まみえる時に自身の姿がどれほど変貌しているかを予測することは難しい。成人して遠方で妻子と暮らしている息子を騙るということも手段のひとつとして念頭に置いておこうと思う。あいつは私の若い頃に本当によく似ているのだ。
新型コロリンウイルス…それは数年前に全世界を恐怖のドン底に陥れた人を死に至らしめる病原性ウイルスの名称である。そしてそれを克服するべく人類の叡知を集約して世に生み出されたのが抗体ワクチンだ。人体を脅かす忌まわしいウイルスは遥か大昔に猛威をふるった黒死病やスペインかぜと同じように人類を存分に蹂躙したあと…ゆるやかに終息しつつあった。根絶するにはまだまだ膨大な時間が必要であることは明白だろう。そして国家主導で現在もなお各地で行われているワクチンの接種事業こそが曲者だったのだとは思いもよらないに違いない。
…勘違いをしないでもらいたいのだが私は陰謀論とやらに左右されるほど愚かではない。ワクチンを打つことによって起きる様々な副作用についても人並みには理解しているつもりだ。そうだな…何かが変だと感じ始めたのは3回目のワクチン接種の時だったと思う。注射を終えたあとの経過観察時間中に看護スタッフに呼び出されて退室していく人が多数見受けられたのだ。そして私も手招きされて───…
「すべて国費で賄われますので無料で接種していただけます。」
案内された個室で説明されたのは同時接種が可能であるインフルエンザワクチンの任意接種についてだった。なんでも70歳以上の高齢者を優先して実施しているとのことだった。───やはりおかしな国だ───。若者や現役世代を優先させて然るべきだろうに。一体どこまで歪んでいってしまうというのか…
それからは新型コロリンワクチンを接種するたびに何某かのワクチンを同時接種させられた。表向きには任意だと宣うが、それなりの圧力を感じないほど私はおめでたい頭をしてはいなかった。そしてそれから月日は流れて…
「あらぁ?●●さんの所の…??」
狐につままれたような顔で私の顔を凝視する古くからの隣人である老婆の姿があった。農村の隣家ともなれば数十メートルほどの距離があるとはいえ、行き来がまったく無いわけではない。今は亡き女房が健在だった頃には、広い意味でご近所の女衆が集まっては賑やかに茶菓子を貪っていたものだ。…その光景を思い出すと懐かしい気持ちで胸がじんわりと温もってくる。
「こんにちは、●●の孫の■■です。初めまして。」
30代そこそこに見える若い男が礼儀正しく挨拶をする。●●は病気の治療のために県外の医療施設に入所している「設定」であり、留守中は孫夫婦に成りすました彼らが家に滞在しながら頃合いをみて●●の死亡を流布する「段取り」になっている。その後この家と土地は正式に孫夫婦の所有となる「手筈」なのだ。そうして何も知らぬ一般市民に気取られる事なく粛々と村や町や国を若返らせていこうというのが国のお偉いさん達がひねり出した苦肉の政策という事らしかった。そんな妙竹林な策を弄せねばならないほど新型コロリンによる国損は凄まじかったということなのだろうと、私は私を納得させるほかに無かった。
───5回目のワクチン接種の後に誤魔化しようが無いほど容貌が変化してしまい困り果てていると、国のなんとか省から役人が訪ねて来た。彼らが語るお伽噺のような説明では、新薬の適合が確認された私達【若返り者】には特例で新しい戸籍が国から与えられるという。そして適合者同士の男女で所帯を持ち、新しい家庭を築くようにと非常に強く奨励されるのだ。───その理由は問わずとも明らかだろう。新型コロリンウイルスによって喪われた人口の再生と、国財の確保がその答えだ。
つまり…私達は再び老いさらばえるその日まで産めよ増やせよ働けよ、と国民の義務を果たすように強いられているのだ。
思うところは勿論ある。新しく迎えた妻や私のように生真面目にワクチン接種を受け続けていた良識ある者達が割を食い、隣人のようにズボラな連中が一足先に楽になれるという事実が甚だ腹立だしくもあった。だが、なんとか省からやって来た役人がうっかり溢した一言も少なからず的を射ているように私は感じたのだ。だからこそ悩んだ末にこの【異次元すぎる少子化対策】に賛同することを私は決断したのだ。
「真面目な国民が増える方が国益になると思いませんか?」
そうか?そうだな そーかもなあ!!
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